読売テレビが2026年1月8日からスタートさせた新木曜ドラマ『身代金は誘拐です』は、このタイトルだけで多くの視聴者が「なんだこの物騒なドラマは?」と思わずクリックしたはず。
X上でもトレンド入りし、その衝撃的なプレミスから視聴者の関心が急速に高まっている作品です。
しかし、このドラマについて調べると、意外な事実が浮かび上がります。
このドラマに原作は存在しません。
それどころか、脚本は完全オリジナルで書き下ろされた、極めて野心的なミステリー作品なのです。
完全オリジナル脚本という大きな特徴
「身代金は誘拐です」に原作がないというのは、単なる事実ではなく、この作品の核心です。
脚本を手掛けたのは大林利江子と今西祐子という二人の脚本家。
彼女たちが織り上げたのは、「娘を誘拐された親が、誘拐犯から『別の子どもを誘拐しろ』という前代未聞の要求を突きつけられる」という、現実では絶対に起こらないような極限のシナリオです。
原作がないということは、原作小説や漫画、映画といった「既に完成された物語」という足枷がないということ。
脚本家たちは、己の創造性だけを武器に、この衝撃的なテーマを映像化する責任を全て背負っています。
その重さは計り知れません。
なぜ「原作なし」がニュースになるのか
テレビドラマの多くは、既存の小説や漫画、映画といった「原作」を基にしています。
原作があれば、その時点で物語の大枠や人気が保証される。
一定のファン層も見込める。
だからこそ、放送局やプロデューサーにとっては「セーフな選択肢」なのです。
しかし『身代金は誘拐です』は違う。
完全に新しい物語だからこそ、脚本の良さ悪さが直接的に視聴率に反映される。
その分、リスクは高い。
ですが、同時にこの作品は、制作チームが「この物語を世に出したい」という確信を持っていることの表れでもあります。
制作チームの野心:「私の知らない私」との共通点
実は、『身代金は誘拐です』の制作チームには一つの共通点があります。
前作『私の知らない私』を手掛けた制作チームが再集結しているのです。
2025年1月期に放送された『私の知らない私』も、やはり考察ドラマとして話題を集めました。
深夜枠の限られた時間の中で、視聴者の考察欲を刺激し、SNS上で議論を呼び起こすという同じアプローチを取っていたのです。
つまり、製作チームは「完全オリジナル脚本で、視聴者参加型の考察ドラマを作る」という得意分野を、さらに進化させたかたちで本作に臨んでいるわけです。
脚本家・大林利江子と今西祐子が、この野心的な企画にどう応えたのか—それが本作の最大の見どころです。
衝撃のプレミス:「身代金」ではなく「別の子ども」
『身代金は誘拐です』のストーリーは、従来の誘拐ドラマの常識を根底からひっくり返します。
主人公は、元刑事の鷲尾武尊(勝地涼)と、その妻で二児の母・鷲尾美羽(瀧本美織)。
彼らは8歳の誕生日を迎えた次女・詩音が、公園で行方不明になったことに気づきます。
その直後にかかってくる犯人からの電話。
通常であれば、ここで「身代金を用意しろ」という要求が来るはず。
視聴者も、おそらくそう予想するでしょう。
ところが、犯人が告げたのは全く別の要求でした:「別の子どもを誘拐しろ。さもなくば、お前の娘を殺す」
この瞬間、物語は従来のサスペンスの枠を完全に脱出します。
親にとっての究極の葛藤が始まる。
娘を救いたい一心で、罪のない他人の子ども、すなわち有馬英二(桐山照史)夫妻の8歳の息子を誘拐することに加担する。
被害者であるはずの親たちが、同時に加害者になる。
この前代未聞の状況設定こそが、本作を単なる誘拐サスペンスではなく、「人間の倫理観そのものを問い直す作品」へと押し上げているのです。
SNS時代の考察ドラマ戦略
『身代金は誘拐です』の宣伝戦略も、非常に現代的です。
2025年11月13日、TVer上で公式アカウントから「犯行声明動画」が公開されました。
生成AIで作られた、覆面をかぶった犯人の映像です。
さらに興味深いのは、主演2人の幼少期風の写真から「犯人を当てるキャンペーン」です。
的中者には総額100万円分のギフトが提供されるという、参加型の企画。
このアプローチは、単にドラマを「消費する」ことではなく、視聴者を「考察に参加させる」ものです。
X上では #誘拐です というハッシュタグが盛り上がり、「犯人は誰か」を巡る活発な議論が繰り広げられました。
放送前から既にドラマの考察沼に落ちている視聴者たち。
深夜枠というニッチな枠だからこそ、このような熱狂的なコミュニティが形成しやすいのです。
原作小説との違いが持つ意味
参考までに、同じ「身代金」というキーワードを扱った作品に、1996年のハリウッド映画『身代金』(ロン・ハワード監督)があります。
この映画は、息子を誘拐された実業家が、身代金受け渡しに失敗した後、「犯人を捕まえたものに身代金を懸賞金として与える」という奇抜な作戦で犯人に対抗する話です。
しかし、これも既に脚本が「完成された映画」であり、1956年のオリジナル映画のリメイク版に過ぎません。
対して『身代金は誘拐です』は、「既に存在する物語」を再構成したのではなく、「全く新しい倫理的問題を直視した物語」を一から創造したのです。
原作がないということは、逃げ場がないということ。
脚本の説得力、キャスト演技の力量、演出のセンス——すべてが直結します。
極限の選択の先にあるもの
脚本家たちが設定した「娘の命か、他人の子どもを犯罪者にすることか」という二者択一は、実は非常に危険な思考実験です。
このドラマを見ることで、多くの親は「自分ならどうするか」を無意識に問われます。
その問いの先に、人間の本性が露わになるのです。
第1話では、この夫婦が究極の選択を下す瞬間がドラマチックに描かれます。
勝地涼の沈痛な演技と、瀧本美織の悲壮感が、この物語の重さを一層引き立たせるでしょう。
そして、物語は「犯人は誰か」という謎解きの要素も加わります。
なぜ犯人は、ターゲットを直接誘拐せず、わざわざ無関係の家族を巻き込んだのか。
その目的は何か。
制作チームからは「毎話、真実が何度もひっくり返り、登場人物の誰もが怪しく見えてくるような構成」という予告がなされています。
考察沼への招待
『身代金は誘拐です』は、単なる「事件を解く」ドラマではありません。
それは、視聴者一人一人に「お前なら、どうする?」という問いを投げかける作品です。
SNS時代だからこそ、その問いは個人の思考に止まらず、ネット上の議論へと拡張されます。
深夜枠というニッチな環境で、視聴者同士が「真犯人は誰か」「夫婦の選択は正しかったのか」を語り合う—それが本作の真の楽しみ方なのです。
原作がないということは、誰も「正解」を知らないということ。
制作チームも視聴者も、同じ地平で「この物語は何を示唆しているのか」を問い続けることになります。
その営みこそが、現代の考察ドラマの価値であり、『身代金は誘拐です』がSNS上で急速にトレンド化した理由なのです。
1月8日の初回放送は、すでに多くの視聴者がTVerで冒頭11分を先行配信で見ている状態。
あらすじや予告映像も次々と解禁されています。
完全オリジナルという「約束」を背負った脚本家たち、そして「この物語を完成させる」責任を背負ったキャスト・スタッフたちが、どのような「答え」を用意しているのか。
その答え合わせは、これからの11週間で明かされていくのです。


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